雑記

鈴木紀夫という男

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2020年5月、コロナで外出自粛が2ヵ月以上続いている。
すでに見たい映画も読みたい本もなくなってしまった。
そんなある日、YouTubeで暇つぶしの動画をあさっていて小野田寛郎のドキュメンタリーを見つけた。

小野田寛郎

小野田寛郎

ご存知の方も多いだろうが小野田寛郎は、フィリピンのルバング島で終戦後も30年近く戦闘を続けた最後の日本兵といわれる人物だ。
1974年、日本に帰国。半年後にブラジルへ移住し牧場を経営。日本では「小野田自然塾」を開講し、教育活動や講演活動を行った。2014年に91歳で亡くなっている。
帰国時、51歳という年齢ながら過去にとらわれることなく、精力的に活動した彼の生き方に感銘を受けたが、私がなにより興味を持ったのは日本政府が多額のお金と人を使って何度捜索しても発見することが出来なかった小野田に単身でルバング島に赴き、接触に成功した「鈴木紀夫」という人物だった。

鈴木紀夫

鈴木紀夫

初めは、1969年にバックパッカーとして世界50か国以上旅していたという経歴にすごい人もいるものだなと思う程度であったが、今どうしているのか気になりネットで調べてみると、1986年にヒマラヤに雪男を探しに行き、遭難して死亡していることが分かった。

雪男を探しに行って遭難!?
いったいこの男は何者なんだ。。。

そう思った私は彼の人生をもっと知りたいと思い、鈴木に関する情報を調べてみた。
小野田と違い、鈴木に関する書籍や映像は圧倒的に少ない。

「大放浪」は鈴木が残した唯一の著作。
「小野田さんと、雪男を探した男」は2018年にNHKがドキュメンタリーが製作したドキュメンタリー作品。

私は最寄りの図書館にあった、鈴木紀夫の生涯を追った「冒険家の魂」越後屋浩二著を借りて読んだ。

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鈴木紀夫の人生

1949年、千葉県市原市生まれ。
19歳から3年以上バックパッカーとしてアジア・中近東・ヨーロッパ・アフリカ大陸を放浪。
日本に帰国後、大学を中退した鈴木は鬱屈した日々を送っていた。ある日、友人からフィリピンのルバング島で敗戦を知らずに戦い続ける元日本兵、小野田の話を聞く。1974年、政府の捜索方法に疑問を持ち、自分だったら小野田を発見できると単身ルバング島に赴き、小野田との接触に成功。一躍時の人になる。
1975年に子供の頃からの夢であった雪男捜索を開始。1度目の捜索で雪男を発見したが、うまく写真に収められておらず、雪男の存在を証明することは出来なかった。2度目の捜索の後、結婚。子供を2人もうける。家族を養うために一時定職に就き雪男捜索から遠ざかるも、雪男を見つける夢をあきらめきれず、延べ6回におよぶ雪男捜索行う。
6度目の捜索で遭難し、雪男の存在を証明することなく1986年、37歳で命を落とす。

やらぬ後悔よりやる後悔?

『やらない後悔よりやる後悔』という言葉を聞くことがある。やりたいことをやらずに後悔するよりも、やって後悔する方がましだという意見には完全に同意するのだか、鈴木の人生を見ていると、そもそも本当にやりたいことというのはいかなる状況においてもやらずにいられないのではないかと思わされる。
やらなくて後悔していることは誰にでも1つや2つはあるだろうが、実際にはそれほどやりたかったことではないのではないかと。

鈴木は冒険家として生まれて来た以上、冒険家として生き、冒険家として死ぬしかなかった。
小野田寛郎を発見した男としてではなく、雪男を人類で初めて発見した男として名を残したかっただろうが、彼の人生は短くも充実したものであったように思う。

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コロナ終息後の生活

現在、コロナで外出自粛を余儀なくされており、やりたいこともろくにできない状況にある。
今こそ本当に自分がやりたいことを見つめ直す時ではないか。

本当にやりたいことは心の中にしまってはおけない。
誰かに迷惑をかけない限り、やりたくないことは止めて、本当にやりたいことをやるしかない。

誰もコロナの流行を予測できなかったように、いつ何時自由を奪われるかもしれない。
明日死ぬかもしれない。
死ぬまで働き続けなくてはならない時代。
どのように考えても、本当にやりたいことを最優先することが正解に思える。

コロナが終息したら何をしようか・・・
そう考えていると、自粛疲れで沈んだ気持に明るい光が差してきた。

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