クラクフ行きの列車にのるために、宿をチャックアウトして、ワルシャワ中央駅に来た。
同部屋だった、チリ人がでかいいびきをかいていてあまり寝られなかったので眠いっす。
クラクフ行のチケットは日本で予約している。
駅のトイレは有料。
90円くらい。
生理現象で金を取られるのはなんだか納得できない気がするのはおいらだけか。。。
おいらが乗る7:49発の電車はプジェミシルというところまで行くんだね。
↑ホーム
駅のテレビで日本の台風のニュースが流れていた。
8人用のコンパートメント。
おいらは窓側席。
自分以外おそらく全員ポーランド人だった。
出発してすぐにのどかな田舎の風景になった。
前の席はかわいい、ポーランドの女の子。
10時30分。3時間弱でクラクフ本駅に到着。
アウシュビッツのあるオシフェンチムには近くからバスが出ているので、チケットを買いに行く。
↑バスのチケット売り場。
ロシアはチケットをKASAといった、ポーランドも同じなんだね。
チケット売り場のおばさんが話すポーランドなまりの英語が聞き取りづらく、出発時間を何度か聞きなおしたら、
ため息をつきながら何かぶつぶつ言われた。おいら客なんですけど。。。
日本の接客レベル高いのは外国に行くと気づかされます。
アウシュビッツでは13時30分のガイドに参加するので、12時のバスチケットを購入。
切符、15ズウォティ。500円くらい。
オシフェンチムまでは約1時間半かかるから安いね。
バスの出発時間まではまだ時間があるので、駅の中のレストランに入って昼ごはんを食べることに。
目の前の料理を選んで注文するスタイル。
ピエロギの写真があるから入ったんだけど、ピエロギを注文すると作るのに15分かかると言われたのであきらめた。
洋風とんかつとポテト、ミックスベジタブル的なものを注文。
味は普通においしい。
腹ごしらえが済んだので、バス停に戻って来た。
↑シスター達
クラクフはどこでもシスターが普通に歩いていた。
バス来たので乗った。
席は決まっていないので、適当に座る。
途中、間に合わないかと思ってヒヤヒヤしたけど、10分前に到着。
13時30分。列に並んだ。
ちなみに英語のガイドです。
日本人ガイドも1人いるらしいけど、時間が選びやすいので英語のガイドにした。
おぉっー!いきなり教科書で見たことがあるゲート来たー!!
ゲートのBの文字が上下逆さまになっているのが、抵抗の証という説があるらしい。
こんな感じで1人のガイドが20人くらい引き連れて回ります。
ガイドの声は入り口で受け取ったヘッドホンから聞こえる。
建物の中に展示があるので、入っていきます。
↑ガイドのおばさん
最初に医師が収容者の選別を行う。働けるものは収容所へ、働けない老人などはそのままガス室に送られたという。。。
チクロンBという殺虫剤で殺されたので、長く苦しんで死ぬ人が多かった。
↑女性の髪の毛
女性も収容されるときに短く髪を切られた。
↑メガネの山
↑義足や松葉杖
障害者も例外なく連れてこられた。
↑食器の山
↑名前の書かれたカバン
しばらく働けばアウシュビッツから出れると思っていたから、全財産をカバンに詰めてやって来たんだ。
収容者の靴
収容者が着さされた服
冬でもこの服以外与えられなかった。
1日のごはん
女性収容者の写真
銃殺用の「死の壁」
献花が手向けられている。
絞首刑台
死体の焼却場
2時間ほどでアウシュビッツ博物館のガイド終了。
アウシュビッツ強制収容所から無料シャトルバスでビケナウに到着。
ビケナウはアウシュビッツよりも大規模な収容所だ。
馬小屋用に作られたバラック小屋に収容された。冬はとて寒かったはずだ。
見学終了。アウシュビッツに戻って、クラクフ本駅行きのバスに乗った。
残酷な展示は少ないけれど、当時の悲痛な叫びが伝わってくるようなものばかりだった。
クラクフ本駅に帰って来た。
歩いて宿に向かいます。
15分ほどで予約していた、ホステルベネディクタに到着。
9人部屋、朝食付きで800円くらい。東南アジアなみに安いな。
3段ベッド初めて見た。3段目登るの大変だろうな。
おいらは2段目で寝ました。
1時間くらい寝てから夜の街を散策しようと思っていたけど、起きたら23時。3時間も寝てしまっていた。
早起きして、疲れていたから仕方ない。。。外出はあきらめて、また寝た。
明日はクラクフ観光だ!