目次
エスファハーン観光
15時、ファルディン君とエスファハーン観光開始。
まず、タクシーに乗って古い橋「スィー・オ・セ橋」を見に行くことに。
スィー・オ・セ橋
長さ300m、幅14m。
エスファハーンを南北に貫くチャハール・バーグ通りをつなぐ橋として、1602年に造られた。
今は水がせき止められているけど、春は川が流れていてもっと綺麗なんだとか。
車は進入禁止。
橋の名前「スィー・オ・セ」は33を意味し、橋上部のアーチが33あることからこの名前が付けられた。
エマーム広場
タクシーでエマーム広場へ移動。
地元民らしく、明らかに正面ではない入り口から入っていく。
エマーム広場到着!
めちゃ広れ~~っ!!
「エスファハーンは世界の半分」という言葉はこの広場のためにあるとされている。
確かにこれを見たら世界の半分がエスファハーンにあると思うのも納得できるが、、、おいらはマシュハドに行ってから来たので、正直マシュハドの方がすごかったなと思ってしまった。
アーリー・ガープー宮殿
エマーム広場では、アーリー・ガープー宮殿だけ入った。
天井の模様。
細かい仕事してる。
バルコニー。
ここで王様がポロという、馬に乗ってやるホッケーみたいなゲームを観戦していたらしい。
最上階の音楽堂。
音楽鑑賞室として使われていた部屋で、壁や天井に楽器の模様が彫られている。
バザール
ゲイサリーイェというバザールの入り口。
とにかく広いバザール。
テヘラン、マシュハド、シーラーズのバザールにも行ったけど、エスファハーンのバザールが一番大きかったです。
いろいろなものを売っている。
イランではあまりスーパーを見かけなかったので、多くの人はバザールで普段の買い物をしているのでしょう。
月曜の夕方だけど、とても人が多くて、人の間を縫うように進まなければならない。
ファルディン君が歩くの早いから付いていくのがやっとだった。
バザールの脇にある神学校。
ギャーム広場
バザールを2キロくらい歩いただろうか、ギャームという「メナーレ・マスジェデ・アリ―」が見える広場に出た。
ファルディン君曰く、こっちの広場の方がエマーム広場より古いとのこと。
たくさん歩いたのでチャイ休憩。イランでチャイといえば、紅茶をさす。
売店ではサモサとピロシキが売られていた。
お湯が入った紙コップと、ティーバッグを渡されて、自分で作るスタイル。
最高のひと時。
再び、バザールを通ってエマーム広場に向かう。
夜のエマーム広場
エマーム広場に戻った時には、陽が落ち始めていた。
白い三日月が浮かんでいて、何とも言いようのない雰囲気。
しばらく座ってファルディンと話しながら、広場を眺めていた。
完全に陽が落ちた。
広場を1周して帰ることに。
冬なのでほとんど人いないが、夏なんかはたくさんの人で埋まっているらしい。
↑アーリー・ガーフー宮殿
↑マスジェデ・シェイフ・ロトゥフォッラ―
ミナレットがないのが珍しいんだとファルディン君が言ってた。
↑マスジェデ・エマーム
観光終了、バスで帰ります。
イルミネーションの通りで、おちょけるファルディン。
帰りはバスを利用する。
ファルディン家でいろんな人に会う
ファルディン家到着。
部屋には戻らず、1階下に父方の祖父母が住んでいるとのことで、そちらに行くことに。
コーヒーを飲みながら、しばし談笑。
部屋に戻るのかと思いきや、友達と彼女が来たのとのことで、屋上に行ってしばし談笑。
すぐ近くにヴァーンク教会が見える、ホントに良い場所に家あるのよ。
友達の名前を聞いて発音したら、変だったらしく、めっちゃ笑われた。
シーラーズ行きのバスチケットを購入
友達が帰った後、シーラーズ行きバスチケットを買いに、南バスターミナル「テルミナーレ・ソッフェ」に来た。
こちらのバス会社でチケット購入。
12月31日、16時発。
53万リアル(1360円ほど)
シラーズまで7時間かかるのに、激安。
でも着くのが23時になるので、そこはちと心配。
ファルディン家に泊まる
家に帰ってネダさんの料理を食べながら、お父さんのマスウッドさんと話したりして楽しい時間を過ごした。
イランの年配の人からはよく、イラン革命前は自由で良かったという話を聞く。
就寝時間。
ファルディンはリビングで寝るから、おれの部屋使ってくれていいよと言ってくれたので、お言葉に甘えて彼の部屋で寝させてもらった。
明日は、ファルディン君とエスファハーン観光して、16時のバスでシラーズに移動します。
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