ベイルート
「タラルズ・ニュー・ホテル」に宿泊しています。
9時に起きて、洗濯しました。
ミケさんは、日向ぼっこ中。
売店で、朝ごはんを買ってきました。
ミネラルウォーター(2L)、チョコ、パン 115,000レバノンポンド
ミケさんとダラダラ。平和です。
↑ベイルート爆発記念碑
10時30分、観光開始。
ベイルート港爆発事故の現場を見に行きます。
↑記念碑の説明(Google翻訳)
歩いていたら3人組の軍人に呼び止められました。
AK47とM16を携帯しています。
なんかヤバいことしたかなと恐る恐る近づくと、ただ話したいだけでした。
レバノン人は、口を開けば経済に対する不満です。
食べ物の値段が上がっただの、ガソリンの値段が上がっただの。
まぁ観光客として数日滞在しただけでも不便極まりないので、住んでる人は相当フラストレーションたまってるでしょうね。
おいらがイスラエルに行ったと話したら、「イスラエルなんて国はない、あそこはパレスチナだ!」と言ってました。ヨルダンで会ったサウジアラビア人も同じこと言ってたので、アラブ人の共通認識のようです。
結局、30分以上話していたと思います。
暇か!
お土産にと、腕についているレバノン国旗のワッペンをくれました。
裏がマジックテープになっています。
シュクラン(ありがとう)!
インスタを交換して、さようなら。
ベイルート港爆発事故現場
爆発現場には近づくことができないらしいので、高架道路から眺めました。
2020年8月4日に、左に見える壊れた穀物倉庫の右側で大爆発が起こりました。
未だに残る大きなクレーターが、爆発の威力を物語っています。
ベイルート中心近くですから、東京でいうと有明あたりで爆発が起こったような感じだと思います。
犠牲者は218人、負傷者は7,000人余り。
広島型原爆の1/20程度の爆発力だったと考えられています。
没収した大量の硝酸アンモニウムをてきとうに保管していて、溶接中にドッカーン!
完全な人災です (-_-;)
穀物倉庫は記憶を風化させないために、わざと残しているのでしょうか。
道路の壁に、たくさんの顔写真が飾られていました。
おそらく、爆発事故で亡くなった方々でしょう。
安らかにお眠りください(-人-)
ダウラ地区
軍人さんが、ダウラにはお前みたいなアジア人がたくさんいるよと言っていたので、気になって来てみました。
確かに、フィリピン人がたくさんいます。
インド系の食材店もあります。
どうやら、外国人労働者が多く住むエリアのようです。
今、自国に送金とかできるのだろうか?
スプライト 45,000レバノンポンド
↑路上ニワトリ販売
昼食「安定のファラフェル」
ファラフェル屋に入りました。
ファラフェルラップ(1個)とファラフェル単品(3個) 195,000レバノンポンド
安定のうまさです。
アラブ飯は、お腹を壊す心配をしなくていいので、助かる。
軽く街歩きして、帰りましょう。
他の場所ではまったく見かけなかった、カジノがあります。
イスラム教徒はギャンブル禁止ですが、外国人が多いエリアなのでOKなのでしょう。
↑謎のオブジェの前で写真を撮るアフリカお姉さま
↑メタリカショップ
気になりますね。しかも3号店(笑)
↑腐ったショッピングモール
アルメニア人地区
旧市街方向に歩いていたら、アルメニアの国旗がたくさん掲げられているエリアがありました。
アルメニア人地区ですね。こいつら主張強すぎだろ(笑)
ナゴルノ・カラバフの国旗もあるし。
レバノンの人口の4パーセントが、アルメニア人なのだそうです。
↑アルメニア文字
旧市街
↑日本食レストラン
14時、旧市街に戻ってきました。
たくさん歩いて疲れたので、宿でしばし休憩。
18時30分、再び外出。
宿のオーナーがまた晩飯を作ってくれることを期待していたのですが、その気配がないので食事に出かけます ←卑しい!
街灯が少なくてめっちゃ暗い。
レストランやバーが多い、クロード通りに来ました。
おいらの持ち金で入れそうな店がなかったので、敗走。
マハルーフ・サンドイッチ
宿の近くにある、マハルーフ・サンドイッチに来ました。
夜はお酒を提供しています。
店内に地球の歩き方の拡大コピーがありました。
↑踊るアフリカ姉さん
TikTokの動画を撮っていました。
陽気やな~。
夕食「シャワルマとベイルートビール」
シャワルマとベイルートビール 250,000レバノンポンド
焼きシャワルマ()なので、温かくて美味い。
あっさり目のビールとよく合います。
えええ (;^ω^)
食べてたら停電になりました。
20時。
宿に帰って、洗濯を取り込み、シャワーを浴びて寝ました。
明日は、いよいよ帰国です。
2回も乗り継ぎしないといけないので、既に気が重い。。。
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