サラエボ
サラエボ旧市街の宿にチェックインした続きです。
19時から旧市街散策に出かけました。
旧市街バシチャルシァ
↑観光の中心セビリ(水飲み場)
宿から徒歩1分ほどで、旧市街のバシチャルシァに来れます。
1400年代から続く市場です。
奥に見えているのは、バシチャルシァ・モスク。
↑セビリ
チョロチョロ水が出てます。
飲む度胸はありません。
レストランや土産物屋が軒を連ねています。
↑トルコランプ
↑銃弾ペン
厨二病心がくすぐられます。
お店が完全に閉まっている通り。
右の建物とか京町家ぽいです。
↑レストランが多い通り
トルコのお菓子、ロクムですね。
ボスニアンバクラワ
バクラワもあります。
もうここトルコやん。
ボスニアンバクラワというのがあったので、買ってみました。
ボスニアンバクラワ 3マルク≒490円
味は普通のバクラワです。
トルコのバクラワより大きいかな。
でもそれはカットの仕方だよな。。。
強いて言うならピスタチオ多めとか?
↑ミリャツカ川の岸にある旧市庁舎
オーストリア・ハンガリー帝国時代に市庁舎として建てられた後に、国立図書館になりました。
1992年、紛争で破壊、蔵書が灰と化す。
2014年に修復完了。
縞々のデザインがエジプトっぽい。
ラテン橋
↑ラテン橋
サラエボ事件の現場近くにかかる橋です。
【サラエボ事件のおさらい】
1914年6月28日、オーストリア・ハンガリー帝国のフランツ・フェルディナント大公が、ボスニア・ヘルツェゴビナ駐留軍の演習を観閲するためにサラエボを訪問した際、同帝国のボスニア・ヘルツェゴビナ併合に反対するセルビア人青年ガブリロ・プリンツィプにより暗殺された事件。
この事件をきっかけとしてオーストリア・ハンガリー帝国はセルビア王国に最後通牒を突きつけ、第一次世界大戦の勃発に繋がった。
橋を渡ってミリャツカ川の南へ。
観光客の姿はありません。
ヨーロッパでサラエボ事件そんなに有名じゃない説。
気温10度。
寒いので、売店でコーヒーを買いました。
ネスカフェ 1.7マルク≒140円
↑日本大使館
すごく良い場所にあって驚いた。
これでパスポートなくしても大丈夫ですね!
↑トラム
旧市街に戻って、フェルハディヤ通りを西へ。
歩行者天国になっています。
↑モスク
↑カトリックの聖心大聖堂
サラエボには、カトリック教徒のクロアチア人とイスラム教徒のボスニャック人が住んでいます。
地理的には完全にヨーロッパですが、400年近くオスマン帝国支配下にあったので、町も文化も人も食べ物も[トルコ+ヨーロッパ÷2]したみたいな感じになっており、とても興味深いです。
永遠の炎
第二次世界大戦の戦死者を悼む聖火です。
記念撮影の人が途切れないので、諦めて横から撮影。
お腹減ってないので、この後まっすぐ宿に帰って早めに寝ました。
次の記事へ↓