サラエボ旧市街
↑バシチャルシァ
8時30分くらいに起きて、身支度をして9時30分から外出しました。
スルプスカ共和国(ボスニア・ヘルツェゴビナのセルビア人を主体とする共和国)に移動するので、その前に最後のサラエボ観光です。
↑バシチャルシァ
ぐえぇ 鳩だらけ。
ボスニアンな朝食
朝ごはんを食べにトルコ料理店「Konyali Ahmet Usta」に入りました。
せっかくなので、ボスニアと名前がついているコーヒーとサンドイッチを注文しました。
ボスニアコーヒー 2.5マルク≒210円
豆の粉が沈んでるので、上澄みを飲みます。
美味いけど、トルココーヒーとの違いが分からない。
ボスニアサンドイッチ 9マルク≒750円
まさか2つもくるとは・・・
中身はレタス、キュウリ、トマト、サラミ、謎ソース。
こんなの余裕で家で作れるやろ。。。
不味くないけど、店で食べる料理じゃないわな。
とりあえず、お腹はいっぱいにはなりました。
↑ラテン橋
サラエボ博物館
↑サラエボ事件現場の前にあるサラエボ博物館
中国人の団体客がわちゃわちゃしてました。
チケット 4マルク≒330円
1部屋しかなくて、めちゃ狭い。
こんなに小さな博物館は初めてです。
しかも撮影してて、見学しづらいし。。。
レベルおじさんの「もの売るってレベルじゃねぇぞ!」を思い出しました。
↑新聞
↑兵士の装備
サラエボ事件で暗殺された、オーストリア大公のフランツ・フェルディナントと、その妻のゾフィー・ホテクのマネキン。
これは死相出てるわ(笑)
そんでこっちが暗殺したガブリロ・プリンツィプ。
多くのセルビア人の間では、プリンツィプをオーストリアなど外国による統治に反対しスラブ民族の統一を目指した人物として英雄視されています。
セルビアの安重根ですね。知らんけど。
サラエボ事件の映画が流れてました。
大公夫妻が通るのを待ち伏せしていたガブリロ・プリンツィプが銃を構える
ゾフィー・ホテクが犯人に気づくも
腹部を撃たれて死亡!
その後、フランツ・フェルディナントも首を撃たれて死亡!
いやいや、二発目許してどないすんねん!
そこはSPが盾になって守らんと!
平和ボケしやがってからに、喝だ!
と21世紀に手作り銃で元首相が暗殺された国の国民が申しております。
11時30分、宿をチェックアウト。
歩いて新市街の方に行きます。
サラエボ人は肉をたくさん食べるからか、背が高い人が多いです。
市場
市場「Pijaca Markale food market」があったので、覗いてみます。
野菜と果物の市場です。
色も形もめちゃ綺麗。
お花もあります。
↑フェルハディヤ通り
内戦時の迫撃砲の砲弾跡を赤く塗った場所。
↑永遠の炎
ただの火なのに人多すぎなんよ。
↑カッコいい車
スナイパー通り
ここら辺はスナイパー通りと呼ばれています。
ボスニア紛争当時、この通りでは、動くもの全て高層ビルに潜んでいたセルビア人狙撃兵の標的となったそうです。
見通し良いもんなぁ。
↑ホテル・ホリデイ(旧ホリデイ・イン)
紛争中も世界中のジャーナリスト達の為に唯一営業を続けていたホテルです。
↑ボスニア・ヘルツェゴビナ議会
綺麗な建物が建ち並んでいて、ここが30年前戦場であったとは想像できないです。
でも古くからある建物には、しっかり弾痕が残っています。
30年後にウクライナを旅行した人は同じような光景を見るのかも。
何にも変わってないね人類。
ぢうまんねんたったらぼくら
もすこしかしこくなってるのかな
おんぼろトラム
スナイパー通りからトラムに乗りました。
古い車両なので、タッチ決済とかがなく、お金の払い方が分かりません。
↑アヴァズ駅
トラムがどこまで行くのか分からないので、適当な所で下車。
不本意ながら無賃乗車しちゃいました。
自分で自分の頬をぶちましたので、許して下さい。
ここから南にしばらく歩くとスルプスカ共和国のはずです。
まぁ同じ国なので国境があるわけじゃないですけど。
スルプスカ共和国には観光目的ではなく、そこにある東サラエボ・バスターミナルからしかセルビア行のバスが出ていないという面倒くさい事情があるので行くのです。
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