プノンペン
9時起床。
おはようございます。
プノンペンの安宿「キャピトル ワン」に泊まっています。
朝ごはんは、日本から持ってきたミックスナッツともち麦満足バーです。
ダラダラしてたら12時になってました。
年末なんでね、せかせか観光なんてしたくなんすわ。
今日もキャピタルレストランでお昼ごはんを食べるとしよう。
クイティウ
野菜クイティウ 9000リエル≒350円
アイスコーヒーミルク 7000リエル≒270円
お茶 無料
カンボジア版のフォーです。
ここ安くはないんだけど、何食っても美味いな。
バス会社も併設されてるので、翌日のシアヌークビル行きのチケットを買いました。
54000リエル≒2100円
14時から観光に出発。
トゥールスレン虐殺博物館
20分くらい歩いて、トゥールスレン虐殺博物館に来ました。
クメール・ルージュ政権下での虐殺や拷問の歴史を伝える施設です。
クメール・ルージュの書記長が、あの悪名高きポル・ポトね。
クメール・ルージュの超簡単な説明
見学する前に簡単にクメール・ルージュのヤバさを予習しておきましょう。
1975年政権の座につく→平等な社会を目指し、国民全員を農業に従事させるアホ政策実施→当然、国民飢える→上手くいかないのは「反革命分子」のせいだと考える(他責思考乙)→大学教授や医者などの知識人を中心に殺す→都市に住んでるだけ、メガネかけてるだけでも殺す→目が合ったら殺す(誇張)
その結果、1979年の政権崩壊までのたった4年間で当時のカボジアの人口の1/4に当たる200万人が処刑されたと推定されています。
ヤバいとか通り越して、こりゃ鬼やで。悪魔の所業。
実際、カンボジアで高齢者ってほとんど見かけないからね。それが物語ってるよね。
チケット購入。5ドル≒790円
オーディオガイド付きだと10ドルです。
団体ツアーの人たちで入場ゲートがごった返していました。
A棟
入場。
このような無機質な建物がA棟からD棟まで4つあります。
刑務所っぽくないのは、もともと高校だった建物を改装しているからです。
トゥールスレン刑務所には2年9か月の間に14,000~20,000人が収容されたと言われ、そのうち生還できたのは8人(身元が分かっているのは7人)のみです。
生存率は0.05%以下。その点ではアウシュビッツより酷いです。
まずはA棟から見学します。
A棟は主に拷問室として使用され、囚人への尋問が行われた場所です。
このような尋問室がたくさんありました。
ベッドに囚人を括り付けて、拷問していたのです。
お坊さんも見学に来ていました。
子供たちは学校に行かせてもらえず、強制労働させられていたそうです。
↑ゲルニカみたいな絵
B棟
続いて、B棟です。
主に囚人の写真や記録を保管していた施設です。
全囚人の属性(名前、年齢、性別など)が細かく記載されており、厳格に管理されていたことに驚きました。
カンボジア人だけでなく、外国人も収容されていたようです。
C棟
C棟には個別の小さな独房が設けられ、囚人が閉じ込められていました。
水浴びは3ヶ月に1回、排泄は房内の弾薬箱に行っていたそうです。
1部屋が1畳ほどです。
閉所恐怖症だったら噴死する。
眺めは当時と大きく変わっていることでしょう。
D棟
最後のD棟。
主に拷問と処刑のための施設で、拷問器具などが展示されていました。
処刑された方の頭蓋骨が棚に収納されています。
この方はおそらく生存者なのだと思います。
ジャンボ宝くじで3等当たるくらいの幸運の持ち主ってことですね。まあ金よりか命の方が大事だからもっとすごいけどさ。
鎮魂。
どこぞのプーチソもそうだけど、為政者が馬鹿な意思決定をしても周りが保身のために馬鹿だと言えずに実行されてしまうってのは今も昔も変わってないわけです。これはもはや人間の本能と言えるでしょうから、そういう馬鹿独裁者を生み出さない枠組み作ることが大事なのでしょう。知らんけど。
↑鳩を狙うヌコ
↑狩に失敗したヌコ
かなり気持ちがドヨンとしていましたが、ちょっとホッコリしました。
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